| このページは介護のお仕事| 介護のお仕事情報館が 2006年 12月 15日 10時04分42秒 にクロールしたキャッシュ情報です。 |
泣くとは?
[ 100] 泣くが勝ち?
[引用サイト] http://homepage2.nifty.com/huzu/talk/talk75.html
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仕事やサークルや家庭で、意見や利害の対立があったときに相手に泣かれると困る。真剣に話したり、討議したり、叱ったりしていると、攻撃的になったり相手を追い込むこともあるものだ。 そのようなとき、仕事で相手を叱っているとき、相手と言い争いをしているとき、泣かれて困ってしまったことが何回かある。 泣くほうの側には、2種類あるような気がする。「泣く」ということをテクニカルに使い、その場を自分に有利にもっていこうとするタイプ。もう一つは、そのような場で涙を流すことを恥じ、できれば隠そうとするタイプだ。 泣かれた側のほうは困る。泣いた人の勝ち、泣かれたほうの負け、となることも多い。でも、同じ立場、同じ土俵で勝負をしているとしたら、「理」で勝てず、「泣く」という最終兵器を使ったほうが「負け」という見方もできる。 本来的、本質的に、女性のほうが泣きやすい、涙もろいということはないと思っている。女性と男性の泣きやすさの違いは、育ってきたなかでの訓練=ジェンダーだと思う。 男性は、小学校のなかばぐらいから泣くこと、特に声を出してワーワァー泣くことを強く戒められて育てられる。女性も泣くことは抑えられるが、男性ほどではない。 私には姉妹はいなかったので、女性が育つ中でどの程度泣くことを抑制されるのか、また男性とどれくらい違うのかという実感はない。でも、教育学、発達心理学あたりの調査をすれば、このあたりには明確な差が出る予感がある。 こうして訓練を受け続けると、少々のことでは泣かない男性ができあがる。感動したり、悲しいことがあると涙がこぼれたり、目がにじむことはある。でも、声を出して泣くようなことは、したいと思ってもできなくなる。「これは泣くべきことだ」と思って声を出して泣きたいと思ってもできないのだ。 私自身、母が死んだ小学校五年生以来、声を出して泣いた記憶は残っていない。父の死のときも、祖母の死のときもとても悲しく涙は流れたが、声を出して泣くことはなかった。四十歳をとうに過ぎた今、これからもそういう機会はないものと思っていた。 家に帰る夜道、誰もいない道で、予想外のことに突然涙が止まらなくなった。自転車で走ることもできず、大きな声までは出さなかったが、嗚咽が止まらくなった。そう、三十数年ぶりのことだった。 悲しいときの涙には、痛いときの涙、たとえばタマネギを刻んだ時に出る刺激系の涙の中にはない物質が含まれているらしい。心理的なストレス物質が涙によって排泄されていると考えると、悲しいときに涙を流すことはストレスの発散になる。「泣いてスッキリした」ということは良く聞く話だ。 そう考えると、育っていくなかで泣くことができなくなった人、主に男性は悲しい存在のような気がしてくる。泣きたいと思っても泣くことができず、ストレスの発散も行えない。感情を素直に表現することもできなくなっている。 「負け」のように思えるすぐ泣く(一部の)女性のほうが、人間が持っている重要な機能、能力を十二分に発揮しているのかもしれない。 |