| このページは介護のお仕事| 介護のお仕事情報館が 2006年 12月 15日 10時04分42秒 にクロールしたキャッシュ情報です。 |
歩かとは?
[ 94] 犬と歩かば
[引用サイト] http://www1.ocn.ne.jp/~syokota/inuaruki.htm
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・計測|犬|野鳥観察|登山・ハイキング|スキー|サイクリング|カヤック|つり|写 「犬をつれての散歩はいいものだ」と、多摩川の支流の秋川べりを夕方に犬を散歩に連れ出している人々の姿を見かけてつくづくそう思いました。景色がよくて自動車道と分離されている道での散歩はそれ自体気持ちがよいものですが、散歩のお供に犬がいればそれは最高です。 私はその姿を鮎釣りをしながら眺めておりました。鮎の友釣りは、鮎が縄張りをもつ習性のうえになりたっておりまして、鮎の夕食時のことを「夕ばみ」といいますが、この夕ばみの行動にでるときに鮎は釣りばりによくかかります。ですから私のように家から釣り場までが至近の鮎師は、夏の休日の夕暮れには川のなかにいることが多いのです。遠来の友釣りの人々が帰ったあとの静かな楽しい一時でもあります。 散歩のことです。炎天の夏の陽も夕方にはその威力を弱めますから散歩のしどきです。「夏は夕暮れ」とはどんなことを言っているのか忘れましたが、夏の河原の夕暮れどきは風情があるものだと思います。 犬を供にしての散歩といいましても、犬の種類によって散歩の様子がだいぶ違ってきます。チョロチョロと歩くうんと小さな犬とノッシノッシと歩く大型犬では、散歩の内容が違います。散歩のお供を目的にして犬を飼う場合には、どのような散歩がしたいのかをよく考えて、散歩の内容に合わせて犬の種類を選定することが大事だと思います。 私は柴犬と紀州犬をあわせて3頭飼っており、家族4人で散歩に連れ出すこともあります。 紀州犬は中型犬でありますが、雄と雌では力が相当に違います。雄は小学校の高学年男子では持て余すでしょう。雌なら力は弱いので小学生3年ぐらいの女子でも何とかなると思います。 日本犬は鍛錬のためにある程度引き綱に力を掛けて歩かせます。ラブラドール・レトリーバーやゴールデン・レトリーバのように人の横を歩かせる訓練をしてもよいのでしょうが、私が飼っている柴犬と紀州犬はバイクや自転車で散歩させるとき以外は引かせてしまっています。 私の知り合いの自動車屋のオーナーは朝晩ラブラドール・レトリーバーを楽しそうに散歩させています。訓練の行き届いたラブラドール・レトリーバーやゴールデン・レトリーバは人の側を、人の歩調に合わせて歩くので、「犬 ひとと歩く」という言葉が符合します。美しい景色ですね。散歩犬としてはラブラドール・レトリーバーやゴールデン・レトリーバは非常にいい犬だと思います。 ところで、日本の現代の犬は全力疾走する機会がないまま一生を終えることが少なくないようです。ゴールデン・レトリーバやラブラドール・レトリーバーはなかなか全力疾走する機会がありませんから、アメリカなどでは公園で全力疾走させるという一種の社会公認のシステムができていることを本で知りました。日本でもごく一部の公園でそのようなことをしていることを作家の中野孝次氏が本に書いておりました。 私のところの柴犬は、小さかったころには格子状のアルミフェンスのすき間から抜け出して、隣の畑や野原を嬉々として全力疾走しておりました。その走る姿はうっとりするほど素晴らしいものです。命の輝きと躍動感に満ちあふれております。 ウォーキングが日本の社会に定着し、腕を元気に振ってわき目を振らずに頑張っているいる姿は勇ましいですね。でもこれは私の好みではありません。犬を供にしての散歩で私は急ぎません。犬は急ぎますがね。 犬を供にしての散歩は相手に警戒感を与えません。普段歩けないよその住宅街に分けいっても相手にはあまり違和感を与えないようです。これは便利なことですね。「ひと 犬と歩かば」見知らぬ 私は犬との散歩が大好きです。散歩のお供に紀州犬と柴犬はなかなか良いと思っております。 柴犬も紀州犬も日本犬のほとんどの犬種が狩猟に用いられてきた文化的伝統があります。現代では狩猟はスポーツとなっており、スポーツ狩猟に猟能の優れた犬はなくてはなりません。日本犬の猟能の保存は、狩猟目的と離れてそれは一つの伝統文化保存でもありますから、非常に大事なことです。 しかし犬を飼う大概の人々の目的は猟ではありません。このあたりが難しいところで猟能の訓練は相当に意識しないとできないことです。 現代の犬の最大の生きがいは、飼い主に可愛がられること、その一形態として散歩のお供をすることです。散歩とは歩くことですが、犬をつれての散歩となりますと、犬の散歩なのか、犬が人間の散歩のお供をしているのか、主役がどちらなのか込み入った話になってしまいますが、「犬 ひとと歩く」であり、「ひと 犬と歩かば、心は限りなく自由になる」のです。 |