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式場とは?

[ 131] 式場隆三郎トップページ
[引用サイト]  http://www.city.ichikawa.chiba.jp/shisetsu/tosyo/kyo/sikiba/sikiba.htm

明治31年(1898)年、新潟県中蒲原郡五泉町(いまの五泉市)に生まれる。1911年旧制村松中学に入学し、母方の叔父の影響で雑誌「ホトトギス」を知り文学に傾倒して、文芸誌、校友会誌の編集にあたった。やがて、旧制の新潟医学専門学校にすすむが、文学の道も捨てきれず、吉田璋也らと文化団体を結成、文芸雑誌を刊行した。そのころから「白樺派」の武者小路実篤、柳宗悦、志賀直哉らに師事、美術にも深い関心を寄せていた。美術に関してはいずれ、ゴッホやロートレック、ゴーギャンといったヨーロッパの画家たちを先駆けて紹介し、精神科医の立場から研究して伝記を書き上げるという、偉業を果たすこととなる。また昭和二十年代後半には、国立西洋美術館の基となる松方コレクション日本復帰運動をはじめ、その建設に多大な貢献を果たす。
学校を卒業して、精神病理学の研究をすすめるかたわら、柳宗悦が提唱の民芸運動に参画してバーナード・リーチ、浜田庄司、千家元麻呂麿、河合寛次郎、寿岳文章らと終生かわらぬ親交を重ねている。大正14年に木喰仏の全国調査に参加、昭和4年には欧州視察にて、ヨーロッパ各地の美術や民芸を調査。その後も民芸関係で沖縄や北京などに赴いている。
民芸理論を実現させた建築についても語っており、昭和14年、式場病院構内に建てた自宅は、柳宗悦設計、浜田庄司建築監督によるものである。
本業の医学に関しては、市川とはかかわりも深い。昭和11(1936)年市川市国府台に精神病院(式場病院)を開院、その経営にあたった。また八幡学園の顧問となって少年山下清を知り、その作品を世に出した。特に昭和20〜30年代は、同じ市川に住む建築家、岸田日出刀らとともに地域文化発展の主導者として活躍された。
昭和12年実業之日本社刊行の『四十からの無病生活法』はベストセラーとなる。昭和15年鱒書房のコバルト叢書より『処女のこころ』『人妻の教養』も数年越しのベストセラーとなる。
戦後の昭和21(1946)年日刊新聞「東京タイムズ」を創刊、出版ブームの先駆けとして東京タイムズ社内にロマンス社創立。娯楽雑誌「ロマンス」をはじめ「婦人世界」「映画スター」などの月刊雑誌を発刊。昭和23年には日比谷出版社を創立、長崎の永井隆博士を知り、『長崎の鐘』などの出版に尽力した。
没後35年にして、式場隆三郎氏を再び有名にしたのは、筑摩書房、平成元(1989)年刊行の『二笑亭綺譚−50年目の再訪』であった。昭和のはじめ、深川門前仲町の一角に狂人が造ったという奇々怪々な屋敷が実在した。『二笑亭綺譚』(昭和14年)は、式場隆三郎が精神科医の立場からその『二笑亭』を自らルポした貴重なドキュメントである。当時は建築家、谷口吉郎氏も同行している。
平成版『二笑亭綺譚』では、隆三郎氏の息子・隆成氏をメインとして、藤森照信、赤瀬川原平、岸武臣の三氏が参加しており、圧巻は、岸氏がつくった二笑亭の復元模型。昇れない梯子、使えない部屋、節穴にガラスを嵌めた覗き穴等々、常人では到底思いつかないような趣向の数々は、今で言うならば赤瀬川源平が提唱する「超芸術トマソン」の元祖と言える。これらは40枚の白黒写真で当時の様子をかろうじて伺い知ることができ、かなり興味深いものである。さらに式場隆三郎の描写も丁寧かつ的確、その場で案内されているような臨場感にあふれており、ポスト・モダンを予見していた式場隆三郎氏の先見性が伺える名作である。

 

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